『ヒプノシスマイクRule the Stage -Ideal&Reality-』感想

ヒプノシスマイクRule the Stage -Ideal&Reality-』現地で観てきました~!

大雨の余波でぎっちぎちの満員になった山手線から吐き出され、客席で一息ついたところに、みたい乙統女さまが矢継ぎ早にお出しされ、わけがわからなくなったまま一日経ってしまった。つまり、ほとんど覚えていません。

なんとしてももういちど観に行きたいところですが、リセールがとれない。う~ん、とりあえず初発の感想をば。

 

圧倒的な歌唱力で相手をねじ伏せる、「天都己姉妹???」、それよりも資金集め、「誠に遺憾です」と、こんな乙統女さまがみたいがたくさんみられた。
極めつきに、「ごめんなさい、ごめんなさい、でもこれが乙統女なのです」で、もう戻れない、理想の○○であれない悲哀といえる曲である。
これだけであれば悲哀と後悔に満ちた曲であるがこの後に畳みかけるように「これが東方天乙統女」と続く。
すると「ごめんなさい」の曲にも、本当にそうなのか?開き直りではないのか?と疑いを抱く余地がうまれる。


いや、これは私が女性のラッパーやシンガーの、「それが何?」とか「で、あんた誰?」のような開き直りソングが好きなのでそれに引きつけているだけかもしれないが。


今回、何かの理想を掲げる曲には、前後か間に本当にそうであるか?(いや……)と比較的わかりやすくエクスキューズが挟まれていたような。「この国をつくるのはあなたたちです」の資金集めソングも一愛のエピソードが挟まれていたり……。前作の「排除」の曲より相対化されて掲げられた理想は正しいのか?と疑問をもちやすくなっていた。こういうつくりにするとその分、余白はうまれにくくなるものだが、少なくともこの曲に関してはそれでいいと思う。


と、ひととおり乙統女さまにきゃあきゃあしているところに、仄仄の「思ったより楽しめたわね」がくるわけだけど。悪趣味な楽しみ方をしているのはわかっているつもりだったけれどあらためて仄仄にいわれると、あ……そうですよね、これにきゃあきゃあ言うの悪趣味ですよね……って真顔にならざるを得なくておもしろかった。

 

ヒプステのある種の若者にみられる軽薄さとか浅はかさをさらっと確実に描いているのがわりと好き。今回の朧ちゃんもその質感で描かれている気がする。わりと若いのではないかな。一愛も前作では合歓より年上もあり得ると思っていたけど、同様に合歓と同じか年下ぐらいなのかもしれない。

「もうじゅうぶんに傷ついてきたのだから」みたいな台詞よかったな。

 

天都己姉妹の影の演出好きだった。影だし。感情のすれ違いが端的にみえて。

 

姉妹対決で「愚かな妹」は突き放すためだけど、その前の「相変わらずズレたことを言う妹だ」は普段から言ってそう。愛されていても合歓の「守られるだけじゃない」みたいなすれ違いからくるフラストレーションはたまっていそう。

一香のたらし仕草みてると一月がめちゃくちゃ気になるんだけど、でも同じ仕草でも男男でやるのと、男である兄さんをロールモデルにしている一香が女にやるのとでは違ってくるか?一愛の目の前でもやっていたし、月の音でも普通にやってそう。仄仄のそれとも違うし、この差が何ともいえない。もう一回観たらこの辺もっとよくみえると思うの。もう一回観たいんだけど。

 

主題歌聴いた段階で蒼乃風カルトとか宗教団体とかスピだったらどうしようって、ちょっとその関係身内でいろいろあったため素直に好きになれなくなっちゃうって心配してたら、理想の乙統女としての「全ての人を幸せに」でほっとした。ほっとしすぎてそれしか感想が無い。ごめんなさい、だからもう一回観させてください。

 

ダンスとか主題歌冒頭のタンタンタンタタンってフラメンコみたいな手の動き足の捌きも好きだし、かっこいいとこたくさんあったのに、もう思い出せない。せめてもう2,3回は観たい。これが今回の感想です。

 

 

ここまでも欲の話だった気もするけど、かなわなくて全然いいただの欲の話をします。

乙統女の政党立ち上げた頃の年上の同士がいてほしい。幼馴染でもいいや、蒼乃風年上じゃだめ?年上が精神的おねえさま言ってるんじゃだめ?

今回“b***h”チャンスいっぱいなかった?言ってほしい。スラングと罵倒が足りない。

比較的ラップが少ないのがちょっとかなしいけど歌めっちゃうまいしかっこいいからこれはこれで。

崩壊の足音が聞こえるお茶会ドラパ好きだから、ちょっととんでお茶会やってほしい。あそこでお茶会やって反感かってたのもちょっと好きだから何かしら。ちょうポップななかよしソングとか。

映画 ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- みてきた!

映画 ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-をみてきました!
ヨコハマの優勝がみたく、鑑賞当時連勝中の横浜ブルクに赴いたこともあり、ヨコハマ寄りの感想です。
(そしていつものごとく箇条書き……初発の感想ということでお許し願いたく……)

【オープニング】

・巨大化かわいい。自ディビジョンを防衛するの? 動きにキャラクターが表れるから、ディビジョンを駆け抜けるとかディビジョンと戯れるとか、自分らのディビジョンに対する態度がみえるようでよかった。ヨコハマはディビジョンを飛び越える。

・街の概念を宿したキャラクターたちが巨大化してその街を歩くのとてもいい。

・ヒプマイ世界のフィクション⇄リアルを提示している。巨大化はフィクション、していなければリアル。スピーカーに乗ってようがリアル。

・既存曲だしもう散々言われてると思うけど「じゃんとかうざいわ関東弁」の「じゃん」はヨコハマ(といわれている)だから簓だけフライングでヨコハマ煽り。ズルい!

【1st battle】

・結構良パンチライン多め。同じビートで battleしたほうがいいよやっぱり。

・十四vs二郎いい。「迷える羊」と「GOAT」とかやってんなって感じだけど、ヒプマイのやってんな感が好きなのでOK。「東海道超えてきた」に対して「海を超える」も最初「?」だったけど、海外にも名を響す的な「海を超える」か。二郎がこのセンスだけで連想つなげてってる感じ、いつもより実在感あってめちゃくちゃ好きだった。

・銃兎の開始前に煽るやつ相手を怒らせて自分は絶対に冷静でいられると思うからやるやつじゃん? 実際はしばしば熱くなるのいいよね。スタイルとしてとりあえず煽っとく。

・ハマサカ記憶なし……予告の時点で「今は仲間が〜」的に続くってわかっちゃいたけど…!なんか……すごかった気がする。これを引き出すための「俺のもとから去った」じっとり重ためだったと思うとカウンタブロー2回観てなにも覚えてない何回観たら冷静に観ることができますか

・スピーカー起動好き〜!三郎のパイプオルガンって超今更だけど芸劇のだったり……?今回、風景やリリックも(上映館っていう装置もあり)実際の街を感じられて良かった。これまで実際の街に寄せすぎると差し障りがあるのかな〜とか思うこともあったのが解消された。

・スピーカーあとは盧笙のインカム? ちょい鬱陶しそうにするの「先生」っぽくて好き。

・煽られたときのはぁ?みたいな細かい仕草が実際のバトルみたいで燃えた

・(ハマ勝利ルート)1st後の簓に対する左馬刻の「あ?」ちょっと監督大阪の人でしょって思ったら、やっぱり大阪の人だった。大阪の人トウキョウの人のイメージこうじゃない?そんなことない?

【2nd battle】
・なるほど公約として聴けばいいのだなとわかる。「Choice IS Yours」前半この世界観のやつらに任せようというのはヤバくない?と思ってたらしっかり回収されて感動しました。宇宙から地球をみていた。

・「未来は俺らの手の中」1stで零が言っててあれ? となった。過去曲かなり引用してくれてるとは思ってたけど、2nd曲他のディビジョンも1st battle受けたリリックある?

・2nd世界観というかそもそも棺も一応地元概念だったのかな~? 山手の外国人墓地的な。

【final battle】

・合歓のリリックちょっとひっかかる。理鶯とのとき組織に所属して組織に叛意を示した同士パルチザンのくだり何か返してほしいな。
ただvs獄だと「女の涙」に対して「良妻賢母じゃない」はまあ通るかってなる。お兄ちゃんがかつて「男の涙」はって言ってたから、「女の涙」が云々いわれたこともあるかもしれない。
「良妻賢母」最初のソロ曲からひっぱってきた語句だと思うんだけど、今出されると乙統女の諸々受けて、そういうところにちょっと肩入れしてるのかな、とも。「.言の葉党」ドラパでは「私は私」で己の信念の方が強くなるような気がしてたけど、映画パンフなどの相関図通り「尊敬」は改めて残っているんだな。

・(中王区敗退ルート)「夢がついえた」的な乙統女のセリフ。そうなんだ!!!「夢」描いてたんだ。「Once upon a time 信じる正義に向かって」は夢だったんだ!信じる政治について熱く語れるだけのあの頃の想いまだあるんだ!!!って熱い何かが溢れ出してだめだった。やりかたを間違えただけで(だけ?)理想とする政治はあるんだよ!見合い相手に早口で語っちゃうくらいの。やりかたを間違えただけで……どうなんだろう実際やり方を間違えたらその先ってあるのかな。

・何時何分男十秒地球が何回回ったときのフックは男女二分論的な口喧嘩の比喩? なんかの引用な気もしたんだけど思い出せず。口喧嘩を真剣にやってんだってとこまでひっぱりあげててこれは好印象。

【エンディング】
・ちがう星からみたいなのもウルトラマンくんでるの?ウルトラマン履修したらいい?
・エンディングで一郎ホメロスって言った?オリ博行った?

・エンディング左馬刻胸の前で手を握るのなに???合歓ちゃんのスピーカーじゃん!!!! 合歓のフロウっぽいとこもなかった?って思ったけどあれはステの曲だ

・エンディングの韻と韻がどうとかいうリリックヒプマイらしくて好きだったわりに思い出せない。文法や詩を飛び越えたよくわからんリリック好き。

 

 

恐ろしいことに要所要所で感情が高ぶって細かいディティール何も覚えてない。これは通える。

『ヒプノシスマイクRule the Stage -Grateful Cypher-』配信 雑感

ヒプノシスマイクRule the Stage -Grateful Cypher-』を配信で視聴し、「現場で観ればよかったな~!」と後悔したので、(ヒプマイもヒプステも情報だけ追っていたとはいえほぼ後追いなのですが、)そんな感じの感想です!
※みながら書いたメモを配信期間終了後にまとめており、未検証多めです。

そもそも今回のテーマが好き

リーダーズ曲の歌詞にある「もう戻れない 戻らない あの頃には」なテーマがそもそも好きなのもあって、今回の筋はかなり好みでした。高速で「もう戻れない」と「もう戻らない」をみせてくる感じ、良かった。
「あの頃」の見せ方にも、ヒプマイ世界観以外の、つまり現実的な手触りがあったように思うんですね。例えば、ハチオウジのモチーフは外的なイメージで一貫しているように思えます。

 

ハチオウジに一貫したモチーフ

特徴的な振り

テーマ曲は会員限定公演の撮影可の部分で、先に何度も目にしていたのですが、脚をバタバタ開閉するバタフライの動きが印象的でした。 これはオープニングだとハチオウジだけなんですね。他にもWMのハンドサインが振りに組まれていると、腕が羽ばたいているような動きになる。

織物がふんだんにつかわれた衣装

物語の外からハチオウジ(≒八王子)らしさってなんだろうと考えたとき、ひとつ繊維工業が思い当たったのですが、衣装をみるとゴブランなどの織物がふんだんに使われています。
八王子って戦前は養蚕、生糸が有名で、そう思うと前述の蝶のような振付もそうですが、蚕を想起するモチーフが多いように思えてくる。

「一生の思い出にしようね」

真日瑠がたびたび口にするセリフに「一生の思い出にしようね」があります。 この「一生」は、特に蚕の「一生」なのではないでしょうか。
蚕の繭から紡がれる生糸は蚕が成虫になり繭に傷が入ると商品としてはランクが落ちてしまいます。
「一生の思い出」を度々口にする真日瑠にとっての「一生」はどんなものかと、蚕の一生と重ねて考えてみると、彼の中では特に「一生」を「取り返しのつかないもの」、「傷が入ったら終わり」という考えになっているのではないでしょうか。
ハチオウジのメンバーに「喧嘩は禁止」を告げるシーンもありましたが、これも絆に傷が入ったら戻れないと思っているのかも。

語り手零

劇中、零のモノローグが挟まり、今回の語り手となっています。 モノローグ中では状況を説明するのに「長いこともつれていた6本の糸」という比喩を用います。 これも蚕の繭から糸を紡ぐことを想起させる導線になっているのではないでしょうか。

こんな具合で、一貫して蚕のイメージをもつハチオウジはヒプマイ世界観の反転としてのオリディビというだけでなく、外的な世界観を持ち合わせているように思えます。

他にも蚕を連想するものとして(仮定ありきの連想ですが……)
・Grateful Cypherサイファーは0の方かも? 語り手の零。0って蚕の繭にみえるし。
・トーキョー迷子ラップがCreepy Nuts『かいこ』っぽい
・「Grateful」 Days 懐古 かいこ 蚕……で意味から音に連想を移すこともできる
・「I hate you」の曲キングギドラ『未確認飛行物体接近中<』っぽい(一郎がそうだからこっちかもだけど)キングギドラモスラ
・Murder Factory 蚕の繭から糸を紡ぐ生糸の工場

 

現実にいそうなキャラクター

ハチオウジのリアリティのラインは、ヒプノシスマイクの世界観よりも現実の世界観に近い気がします。 (現実の人っぽいというだけで確証はありませんが……)
選ばれた・選んだ3人組じゃなくてローカルなクルーであることもそう。
(確か真日瑠のセリフである)「このつながり」という表現にも表に出てきているチームだけでない広がりを感じます。

ハチオウジの弱さ

現代的な鬱屈した行き場のない若者だと仮定してキャラクターを読み解くと、例えば「俺たちには力がない」といっているのは、ハチオウジ側の自己評価であること。(一郎がそれを受けて「そうかも知れねえ」と返したが、左馬刻は「あいつらは強かった」と言っている)

そもそもまともな教育が受けられず(一般教養としての)語彙が少ないと思われるキャラクターは、6ディビジョンの中にもいるし、実際今回の楽曲・セリフにはあえてそういった語彙も多くつかわれていたのではないでしょうか。
「じゃんけんぽんでもしてろや」「あっかんべ 舌だす」 「好プレー」「珍プレー」など、中には実際のMCバトルや曲の引用もありました。

現実でもヒプマイの世界観でも語彙の少なさが弱さの理由にはならないのです。
またハチオウジの子たちがバトルを全く諦めていたら、6ディビジョンを狙おうと思わないのではないでしょうか。
MCバトルのたたかい方は知っている。なのにうたれ弱いようにみえる。何故か。
ハチオウジはむしろ「弱いと思わされていること」が弱さの原因なんだと思うんですね。

彼らはマイクを奪われていたことをなかなか言い出せない。それが明らかになったとき恥じているような表情をみせる。(ここ良かったですね)

「もう戻れない 戻らない あの頃には」

(「Grateful」で何となく連想していたのが『Grateful Days』なんですが(そんなことない?)あの曲の雰囲気を感じるというか、そうでなくても)「戻れないあの頃」がテーマのひとつであるとしましょう。
すると、ハチオウジはどういった立ち位置になるかというと、昔のリーダーズでもある。つまりリーダーズの「あの頃」です。
現実の“ストリート”にいそうな若者を描き、現在のリーダーズに対峙させることで、過去のリーダーズを現実に接近させる装置であったといえるのでは。

そして6ディビジョンのチームメンバーもハチオウジ的な「あの頃」を今も抱えている。
それは例えば「大人なんだから自分でなんとかしてくれよ」「手柄独り占めすんなよ」という二郎三郎。チームの外の人にすぐに「助けて」と言えなかった十四。
6ディビジョンのどこまでを「若者」と置いているかは拾いきれなかったのですが、彼らもまたハチオウジの子らに接近しています。


これをハチオウジからみると、韻も踏める、絆もある、語彙が幼くたってバイブスで戦える。でも勝てない。この差って何? となります。

周りから度々削られていくと人は無気力になり、諦めてしまう。
余裕がないから、楽曲も6ディビジョンに比べて音楽性にバリエーションがない。
でも最後に残った1本のマイクは手放せなかった。

一郎には諦めてしまわないよう引っぱってくれた友がいた。
その最後に残った1本のマイクのようなものになれないだろうか、というのがまひるに対する半ば祈りのような一郎の最後のバースなのではないでしょうか。
「痛いなら痛いとちゃんと叫べ」言い換えてしまえば「傷つくことを恐れるな」と陳腐なエールのようでもあるのですが、リーダーズの絆についた「傷」、ハチオウジが「傷」つけたくない絆を思えばまた違った響きを持つのだと思います。

ほんとのほんとに蛇足!
・ハチオウジの衣装でたくさんのバッチや布を重ねている、織り方が違ったり継ぎはぎだったりするのは、やられていった先輩や仲間たちのものだからでは
・Two Face Two Win っぽい
・マイクがバイクなのと「有名な人を倒せばハクがつくとおもった」は「ひところすかラッパーになるか」的な?カワサキ ニンジャ?
・Wind Assassin ウィードハシシ……?
・蘭丸 信長の小姓 やくざの子ども?
・KANDYTOWNとかYENTOWNとかクルー意識している気が

『ヒプノシスマイクRule the Stage -Renegades of Female-』観劇 雑感

ヒプノシスマイクRule the Stage -Renegades of Female-』を、現地で鑑賞。見事にはまり、千秋楽配信後、隙をみてはリピートする生活をしていたわけですが、ついに1週間が経ち、配信終了してしまいました。ああ、寂しい。何も残さないのももったいないような気になり、ブログをしたためようと思いいたったわけです。

 

と言ったものの、2.5次元の舞台にさほど明るくなく、ヒプマイ自体にも昨年春(これも中王区きっかけですね)に出戻りした新参なので、舞台として、物語としての詳細は割愛しまして。以下、雑感レベルですが。

 

バトルパートのこと

キャラ毎のフロウというかスタイルにそこまで差をつけていないのかな?

ツクヨミ VS. 合歓1回目では、合歓は真面目にライミングツクヨミは韻も踏むけどより感情に訴えかける感じだろうか。「人に高みからうつ正論 より見つめなその血で汚れた手を」とか「キサマラはどうだ? 実際はどうだ?」とかヒプマイ的パンチラインツクヨミのほうが多かったか。

ツクヨミ (+一愛)VS. 合歓2回目だと、一愛の感情が乱れているのもあって、3者のスタイルも混ざりあっているように感じた。バトルの展開としては熱いけど、キャラクターみせて欲しさもある。

 

こうだったらいいのにな

 

月の音が急進的であったわけ

ヒプノシスマイクに導かれてるんですよ……は、冗談として。

急進的に革命を起こした言の葉党の対になるのは、急進的に反政府運動に向かう月の音であるかも知れない。思想が伴わないまま走り続けているのかも、カリスマ的な指導者の言葉を、マイクを通して受け取った構成員たちは、自ずと過激になっていったかも。

しかし、それを率いたのは自分(たち)であるから「もう止められない」……。

世襲政治家の家系であり、政権を奪う前も言の葉党を運営していた乙統女の政治がああなら、正しい兄さんの思想を体現しようとしているツクヨミ反政府運動もああなるのかも知れない?

 

一愛のこと

「中王区に所属する合歓」に対応するのが「月の音に所属する一愛」だったとして、中王区にいる合歓が洗脳されていて本来の性質ではないのなら、月の音にいるときの一愛も抑圧されて本来の性質ではないとか。

中王区潜入時のキャラのほうが、(例えば兄さんが死ぬ前の)素の性格に近かったり? 本名で潜入しているのも、「女に甘いって聞いたし、いけるっしょ!」みたいな、しょうもない理由だったらうれしい。

芸人なのにヤクザとつるむ簓と同じくらいの軽率さがほしい。というか、あってもいい。軽率な行動をとる若者大好きなんだけど、自分自身が若者とはとても言えない歳になってそれを言うのも、上からというか、いやな感じが出てしまうだろうと、表立っては言えないな。

 

フェミニズムのこと

常々思っていることに、中王区をフェミニズム批評するときに、いまの日本のフェミニズム単独でとらえるのは不十分で。

そもそも彼女たちの背景が書かれきっていない、というのもあるのだけど、キャラクターの成り立ち的に、海外のフィメールラッパーからとっているのじゃないかな、と。だから、まずフェミニズムど真ん中でとらえるよりも、音楽とフェミニズムっていうワンクッションかませないとぼやける。

それプラス今回のステで改めて思ったことは、H歴前夜は、いまのバックラッシュがさらに進んでいるであろうこと、そのさきに戦争があり、戦中・戦後に女性がどう扱われたのかなど考慮に入れなくては、彼女らに対してフェアじゃない気がするのです。

他にも例えば、中王区でそれなりの職に就いている人物が、力不足に思えることについて。H歴以前の男性中心的な社会の中で、女性が同等に働こうと思えば、女性は男性以上に能力を示さなければいけないというのは、いまの社会をみても想像に難くないわけです。にもかかわらず、女性に与えられる仕事はどのようなものであったか。男性が主要な仕事を持っていく中で、その他の仕事で成果を上げなければならない。そんな社会で生き延び、H歴に要職につき3年弱、彼女らを力不足だと断じることができるだろうか。

(と、メインキャラクターに対する仕打ちがああでなければ、もっとはっきり言えるのに……)

 

ほんとに細々した雑感になっちゃった。

ダンスのこととかも書きたいんだけど、ちょっとまた別にしようかしら。

読んでいるはずの本たち 2023年の読書まとめ

子が胎の中にいたころから、わたしの頭の中はカンカンに熱されていて、それは生まれてからもずっとつづいた。何かを考えようと頭の中に放り込むと、すぐにジュッと音を立てて干上がった。

それがこの春に実家の近くへと引っ越し、子が3歳を迎えるあたりで、スンとおさまった。3年半、長かった。あれは何だったのだろう。産後うつ? それとも以前やらかしたメンタルの不調が再発していたのかもしれない。

ともあれ、本が読めるようになった。ああ、それからアニメやドラマも見られるようになった。(映像を処理するのが苦手なので本よりアニメやドラマ、映画の方がハードルが高い)

本が読めるようになった喜び、それから県境に住んでいて、複数の図書館が使えてしまうこと、アニメやドラマにはまって気になる分野が広がったこと、自分の時間が持てるようになったこと、パッと思いつくだけでもこれだけの様々な要因が重なって、手当たり次第に本を読んだ。

……そう、読んだ、はずなのだが、読書メーターを確認すると、そうでもない。思い出そうとしても思い出せない。から、まあ、それは読んでないに等しいのだろう。

 

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読書メーターって前は月間・年間まとめしてくれてなかったっけ?)



はっきりと覚えているのを数冊。

・また二次創作やりたくなってきたので下記2冊。主に商業BLがジェンダーをどのように描いてきたかの流れがわかる。二次創作するときって好きなものを書くものだから手癖で書いてしまいがちで、自分の好きは何なのか、どういう枠組みで解釈しているのか考えるきっかけになって良かった。

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・引っ越しの度にその土地について調べてはきた。地元(の近く)に戻ってきて、「あの辺は治安が~」っていうけど、それってどういうことだったんだろう、とか、基地が近くにあって飛行機の音がするのがあたりまえだと思っていたけどほかの土地だとそんなことなかったな、とか気になることがたくさんでてきた。このあたりもっといろいろ読んだ気がするんだけどなあ。

 

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・公園に行く途中で子が寝てしまうことがよくあって、起きるまでのちょっとした時間が、図書館で雑誌を1冊読むのにちょうどよかったので、文芸誌をよく読んだ。

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この号に載っていた九段理江さんの「Planet Her あるいは最古のフィメールラッパー」が本当に良くて、『Schoolgirl』『しをかくうま』も次々に読んだ。言葉が、ある関係において意味をなくして、そこからまた再生することが書かれていて、気持ちがいい。再生するまでの切実さが言葉をそれでも重ねていくことであらわれていくのは他にないような気がする。

 

2023年はこんな感じ。こんな具合で昔から乱読してきたので、何かを体系立てて学ぶことが苦手だ。いい加減落ち着いて本を読みたい。

個人詩誌『ひやそのほかの』創刊号(4)

個人詩誌『ひやそのほかの』創刊号(4)

2019年11月24日発行

 

8  産声


女になるまえにもっていたはじまりのことばが古くなっていく。胎をふくらせうまれた空洞におそれが反響する。もう、ひらいているか?  せんせいの指示どおり産声がおとずれるのをまっていて。

 

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9  あらし

 

十一月の旗がゆれ
みえかくれする薔薇の花弁に

熊蜂がうずくまっている
習性にふるえる羽の音をきき
まだ  うまれていない  こども
こどもたち  が
すすりなく


おまえ  は
うまれていない  ものたち  は
そこのまっすぐな産道に
おまえたち  ひっかかっているのね
この先は国道0号線
豪速で行きかうならい
銀の陽射しにすなあらしがまきおこる


おまえたち  の
言葉を憶えるまえの
えいえんのくちびるに
夕暮れる
ムースの色の変わり目を
掬って食べさせてあげたい
繭の糸の凝る点
木々が色濃くなりかかる
交差点で接触する
急ブレーキ


わたしたち は
あなた と あなた は ひとりで
ひしゃげた車のバンパーを割りひらき
わたし の 見ている前で
ふくらむ子宮をつぶし

ぞぞりぞぞり ぞぞりぞぞり
夏を掻きだしている
わたし の
告げるハツハナの
裾を捲り上げる
わたしたち
ここには あらし しかなかった

 

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個人詩誌『ひやそのほかの』創刊号(3)

個人詩誌『ひやそのほかの』創刊号(3)

2019年11月24日発行

 

7 「産む」を作品にするとき

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 伊吹島の出部屋から考えること

 

1
   瀬戸内国際芸術祭の秋会期初日、フェリーを降りて伊吹島の港に立つ。観音寺の港では小雨が降っていたが、島では晴れている。思えばせとうちの島にいくたびにそうだった。

   秋会期から瀬戸内国際芸術祭の会場となる伊吹島は、芸術祭に参加する12の島の中でも最も西に位置している。真浦港に着くと島の内外の人びとが芸術祭のボランティアで旗をふって歓迎してくれる。にぎわっている印象を受けるが、この島もまた人口は減少している。

   伊吹島は周囲5.4Km、面積1.05平方キロメートルの小さな島だ。かつては鰯漁に従事する人が多く、いまも良質なイリコの生産が盛んで「イリコの島」として知られている。この日も港で歓迎してくれた人たちから、イリコのパックをお土産にいただいた。人口は2019年10月現在で477人となっているが、民俗資料館の掲示によると7~80年前には4000人以上いたこともあるようだ。
   伊吹島は坂が多く、また坂の上に行けばいくほど空き家が目立った。柱だけがのこり見通しのよくなった家の中はかえってそこにあった生活を感じさせる。

 

2
   狭く急な坂を上ったり下りたりをくりかえすとやがて1970年まで使われたという産屋、出部屋(デービヤ)の跡地にたどり着く。伊吹町自治会と伊吹島を愛する会によって立てられた説明書によると「お産を家の納戸で終えた女性たちが一ヶ月間、新生児と別火の生活をしていた共同産室があった所」とある。この坂道をお産の後の身体をひきずってやってきたのだろうか。一九八三年に県道工事のため解体され、礎石と門柱だけが残っているその跡地もまた、わたしにかつてそこにあった生活を思いおこさせる。
   さて、その出部屋跡地であるが、瀬戸内国際芸術祭の秋会期初日であるわたしの訪れたときには、アート作品がそびえ立っていた。「伊吹の樹」というタイトルのその作品は自然を強く意識するような荒々しい造形で、ひのきの板が高さ4.5メートル、全長7メートルにわたって組み上げられている。内側には全面に鏡が張られ島の空を映し出している。
   瀬戸内国際芸術祭の公式ホームページ、および公式ガイドブックの作品紹介にはこうある。
   

伊吹島には出産前後を女性だけで集団生活し、家事から解放され養生する風習があり、その場所を出部屋(でべや)と呼んでいた。生命の誕生の場である出部屋の跡地に、作家は生命の樹を植える。横たわった大きな生命の樹は子宮を表し、地面と樹との空間をすり抜けることは母体からこの世界に出ることを意味する。

 

    作品の受け手、見るものがその作品を通して生まれ変わることをイメージしている、つまり「生命の誕生」とその神聖さを強くうち出して いるようだ。      産むことの生の側面に焦点をあてたそのアートはわたしに違和感と、疎外感をもたらすものであった。

 

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3
   「産む性」から逃れたくて、十年以上わたしは必ず毎日一錠の薬を飲んでいた。ホルモンを調整するのは身体を制したようで心地よかった。ところが環境の変化で身体のバランスを壊し、また加齢によっても、あんなに逃れたかった「産む性」が脅かされたとき、途端にそれが惜しくなった。

   いま、わたしにとって「産む」は決して自然ではない。出部屋にたたずむアートに感じた違和感はそんなわたしの「産む」観とのズレとも言えるだろう。だが、それだけだろうか。
   伊吹島の出部屋は、出産のけがれを忌み、家族と火をわけて生活するとされる産屋のなかでも最も遅くまで使用されていたひとつとして知られている。瀬川清子『女の民俗誌 そのけがれと神秘』によると、「不浄の婦人は網や漁具いっさいに触れてはならない、船に乗ってはならないという禁忌は、ところを記す必要もないほど全国的な禁忌」、「海辺の住民、つまり海に働く漁業者は、出産・月事のけがれを特におそれるといわれる」などと漁村のけがれ観は特に強かったとされる。そうしたけがれ観の強い漁村ではおそくまで産屋の生活が残っていたそうだ。
   しかし、今回の瀬戸内国際芸術祭の公式の作品説明や作者の説明、また雑誌や新聞等の記事にもけがれとの関連で出部屋を紹介したものはなかった。
   また、ほんとうに出部屋は「生命の誕生の場」だったのだろうか。伏見裕子『近代日本における出産と産屋 香川県伊吹島の出部屋の存続と閉鎖』では、明治から大正にかけてはどの時点で出部屋に入ったか確証が得られない状況だが、昭和戦前期については、そこでお産をするわけではなかったとの記録が多数残されているという。一九五六年に分娩室および診察室が設置されるまで、長らく出産場所として考えられてはいなかったのがわかる。
   ほかにも近年、出部屋をどのように紹介しているか調べると、経験豊かな女性に教えを請い子育ての不安を解消していたといったような当時の出部屋の機能を限定して、現代の日本に足りないものを求めるような動きが多くみられる。出部屋を地域おこしやアート作品の中心に据えたときに、けがれに関することをなかったようにしてしまうこと、また美化することが起きてしまうのはなぜだろうか。


4

   わたしがわたしの身体のなかにある「産む」に戻ってきたとき、わたしの詩にもまた「産む」があらわれた。それとどう付きあっていくか 考えているなかで、また海をわたった。伊吹島は、わたしのいま住んでいる福山から春先まで住んでいた高松への、旅の途中で立ち寄った 島だった。出部屋跡地で、わたしの外側にそびえ立つ「産む」に向きあったことで、対象化できたように思う。
   かつて、産むことのまわりにあったであろうけがれや、祈りをなかったことにすることなく、しかし確実にわたしのものとして書くことは可能だろうか。わたしは、「産み」を神秘的なものにも不浄にもしたくない。自然的なものとして崇拝するのを、また、恐れるのをやめたい。本誌の最後に置いた「あらし」はそうやって抗いながら書いた詩である。おまえたちのものでもなく、わたしたちのものでもない、わたしのものとしてきりわけていく。「産む」をあらわす。
   むしろそこにあったのはただ空っぽの産道なのではないか。空っぽの気を満たすための場とした場合において詩はありうるのではないだろうか。

 


参考資料