『ルポ川崎』読書会ルポ

2018年5月30日(水)高松市の本屋ルヌガンガさまで行われた読書会が面白かったので感想を少しばかり。
今回初参加の読書会、題材は磯部涼/著『ルポ川崎』。ラジオで著者が話しているのを聞いて気になっていたところでの読書会であった。
 

ルポ 川崎(かわさき)【通常版】

ルポ 川崎(かわさき)【通常版】

 

 
2015年に「中1男子生徒殺害事件」と「簡易宿泊所火災」という社会を揺るがす事件が立て続けに起きた川崎。『ルポ川崎』はそこに住む人々への取材を基にしたルポルタージュ作品である。

今回、私にとっては初の読書会となるのだが、ルヌガンガ主催の読書会としては第8回にあたるのだそう。そこでルヌガンガ店主さまの立てられた裏テーマがこれだ。

「文学以外で読書会は成り立つのか」

確かに、街中で行われる読書会では文学作品が多いように思う。面白いテーマだがまずは読書会を実践しないことには始まらない。

それでは下記に、読書会中気になったトピックを基に感想と記録としてまとめたい。

日本語ラップの潮流

本書では多様な川崎のアーティストに取材をしている。中でもウエイトの大きいBADHOPの話を皮切りに、本読書会でもまずは日本語ラップの話があがる。

 

読書会参加者の大半が入手したであろう版――第5刷・第6刷の裏面の帯にはこうある。「上から目線の若者論、ヤンキー論、郊外論を一蹴する」

『ルポ川崎』にはこういった「上から目線」を寄せ付けない「ホントウ」のことをラップする川崎の若者が描かれている。

 

「アメリカで劣悪な環境とそこから生まれるラップ・ミュージックを体験してきた彼にとって、当時の日本のラップ・ミュージックは生ぬるく感じられた」p.183

「そういった若者たちをむしろ積極的に起用した件の企画は、ショウビジネスの枠を越えてラップ・ミュージックの本質を映し出すと同時に、彼らをアンダーグラウンドからひっぱり上げようとした」p.99

日本のラップの一潮流として、生々しい「リアル」「ホントウ」をラップする声が上がっているのは確かだ。

ローカル

今日はローカルの時代でもある。本屋ではいわゆる「旅モノ」がほとんど売れないのだそうだ。

マイルドヤンキーなる言葉が聞こえて久しくもある。マイルドヤンキー、つまり地元志向の強い、ゆるいつながりの中だけで一生を終える若者を指すのだが、『ルポ川崎』の中でも若者のマイルドヤンキー的なる傾向が見られる。

「『川崎区のヤツらって人生が地元の中だけで完結してるんですよ』」p.81

 

「ひどい場所」であることを自重しながらも、そこから出ない川崎の若者。そして若者の「仲間」感は関係性の閉塞へとつながっていく。

川崎「中1男子生徒殺害事件」は「仲間」にすらなじめなかった少年の起こした事件だったという。

「川崎区の不良たちが口を揃えて言うのは、地元で彼は浮いていたということである」p.80

 

カルチャー

『ルポ川崎』ではどの章においても、カルチャーになかば楽観的なまでの希望を見いだす。閉塞していくムラ的価値観から抜け出す、外に開けた風穴として、カルチャーを位置づけている。

「川崎の不良少年は、目隠しをしてタイトロープを渡っているようなものだ。なんとかゴールまで行き着いたBAD HOPは、続く少年たちに手を差し伸べる。」p.41

繰り返される希望と、外と内を行き来すること。その架け橋となるカルチャーへの希望をもって読書会は散会となった。

 

ここで、最初にルヌガンガ店主さまのおっしゃった裏テーマを思い出したい。

「文学以外で読書会は成り立つのか」


生の語りをルポルタージュたらしめているのは何か? 作者・磯部涼が幾度も川を越え、織りなした文章こそにその文学性が現れるのではないだろうか。例えば私が『ルポ川崎』の中で気になったのは、作者の手癖なのか度々使用される「あるいは」の接続詞のような対比表現の文章の危うさであったのだが、それがかえって越境するような感覚をもたらし心地よかったのだ。

文学以外でも読書会は成立した、が欲をいえば文学以外とされる作品の文学性について踏み込んで話してみたくもあった。